2011年07月17日
長い歴史の最後

Moji, janvier 2010
キリストが再臨するのは近い将来ではなく,長い歴史の最後である。そのことに信者たちが気づいたのは,少なくとも1世紀中頃,あるいはそれよりも遅く,エルサレムが陥落した紀元70年以降のことだった。そしてそのような自覚は,副因が世界中に伝えられなければならないという信念につながり,伝道活動がさかんに行われるようになった。しかし,その一方で,教会は迫害の試練にさらされつづけたのである。
ピエール・ジルベール『聖書入門』
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2011年07月07日
近づき,知る

Kagoshima, février 2010
人々は律法を実践し,聖書を学び,神殿での祭祀を実行することによって,神に近づき,神を知ることができると信じていた。ところがナザレの大工が現れて,新しい契約の神が人間的関係の中に,個人の自由の内奥に現れようとしているのを見抜いた。かくも肉をそなえ,「あらゆる神々の中で最も人間的」(ジャン・ヴァール)なこの神は,神の国の到来を告げた当の人の中に存在していたのではないだろうか。人々が信頼と祈りをもって神に,それもどんな神よりも愛にあふれた神に向かうように彼の方をむいた日,この最後の一歩は踏み越えられた。
ジェラール・ベシエール『イエスの生涯』
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2011年07月01日
懊悩

Bordeaux, mars 2009
洗面所には,青いはだかの電球が一つ灯っている。のぞいて見ると,絣の着物に白いエプロンをかけて,丸くしゃがみ込んで,竹さんが,z洗面所の床板を拭いていた。手ぬぐいをあねさんかぶりにして,大島のアンコにいていた。振りかえって僕を見て,それでも黙って床板を拭いている。顔がひどく瘦せ細って見えた。道場の人たちは悉く,まだ,しずかに眠っている。竹さんは,いつもこんなに早く起きて掃除をはじめているのであろうか。僕は,うまく口がきけず,ただ胸をわくわくさせて竹さんの拭き掃除の姿を見ていた。白状するが,僕はこの時,生まれてはじめての,おそろしい慾望に懊悩した。夜の明ける直前のまっくらい闇には,何だかただならぬ気配がうごめいているものだ。
太宰治「パンドラの匣」in 『パンドラの匣』
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