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Posted by チェスト at

2010年04月30日

南の女




Amami, octobre 2008


「南の女におくる」


彼女の手の甲の焦褐に,
アラビヤの数字の刺青がある。

彼女の耳朶の小豆粒をうがって,
陽物を象(かたど)った石がぶらさがる。

パパイヤの熟れるまつ下の食筵。
べたついた彼女の裸のまはりを,火蠅の群がぶんぶん唸り,または,黒々とたかる。
どしゃぶりの驟雨(しうう)のやうな,彼女の情慾を浴びて生れかはりたいな。

むしむしするバタビヤの夜,蘭の花の匂ふ床筵のうへで,私は,彼女を抱きしめ,キュウキュウとよろこびの叫びをあげた。
そのとき,彼女は,馴れた猫のやうに,長い睫毛の眼をそつと閉ぢ,足の指で花束をいぢくりながら,魂のそこからRA音の声で,鄙歌をうたってゐた。
——私は,このからだが,石灰になって散つても,あの声が忘れられない。

闇……闇……闇……
今度の推進機は,私をどこへはこぶ。

人は,どんな小さな記憶でも,掴んでゐるわけにゆかない。
奈落だ……。忘却だ……。深淵だ。
船底の板の間で私は,夜通し,むかしの骨壺を抱いて,かなしんでゐた。
船ばらの鋼鉄版の一重むかうで,怖ろしい鰐鮫が,大鱶が,瀬なかをごりごりこすりつける音がする。


金子光晴「南の女におくる」in『金子光晴詩集』(『路傍の愛人』)
  
タグ :金子光晴


Posted by Nomade at 13:19Comments(0)

2010年04月18日

牡丹




Paris, mars 2009


牡丹圏


とほくは虹ともかすみとも。
だんだらの靄ともみえる絢爛の。
千万万の。
牡丹の花。
色と匂ひのずつしりに。
乱れ舞ひ舞ふ蝶蝶の。
めくるめくそのちらちらちら。
天は群青。
陽は白金(プラチナ)。
風沸けば。
沸きあがる色色の色の渦巻き。

     鉦と笛とを伴奏にしていま。巌の如き猩猩が胡座のままでせりあがる。針の赤髪。錦の大
     衣。貌(かお)赤く眼玉もあかく。赤い手に朱の大盃。銅鑼が鳴る。どくどくどく。銅鑼が
     鳴る鳴る。

        この俺は。
        十七たびも死んできた。
        今日もまた俺は死んでゆく。
        銅鑼はごんごん。
        海の念仏。
        酒は満満。
        死出の盃。
        亜細亜に天のあるかぎり。
        亜細亜の天を朱に染めて。
        俺は踊るぞ。
        生の舞ひ。
        俺は歌ふぞ。
        血の歌を。     

     むんずと立って修羅の如。
     牡丹の花を右手に持ち。
     金と朱との衣はゆすれ。
     針の大髪大那波波。
     花はちぎれて宙にとぶ。

とほくは虹ともかすみとも。
だんだらの靄ともみえる万万の。
ああ沸きあがる色の渦巻き。
蝶の乱乱。


草野心平「牡丹圏」in 『草野心平詩集』(『牡丹圏』)
  
タグ :草野心平


Posted by Nomade at 11:30Comments(0)

2010年04月13日

子供ら




Yamato, mai 2009


山々は他人行儀に行間を狭め
自らそっと閉じていく
それから
親のない子供らを次々と
次々としずかにうむのである
山々の子供らは(どのこでさえ)
みけんに小さなひかりをうみこまれ
煮つめられたようなひとみをして
ちらかるように
こぼれるように
世界へとけ出していけばよい


小池昌代「山響」(抜粋)in『小池昌代詩集』(『青果祭』)
  
タグ :小池昌代


Posted by Nomade at 14:42Comments(0)

2010年04月11日

自己愛




Bordeaux, mars 2010


自己愛(ナルシス),それは鏡のなかにあり,風景のなかにあり
鉄路(ルール)も素顔を水に似て通過する
テレビをみていた,画面のカーブが気になるので
映像がゆがむのだ!
睫毛をつければ,あれは眼だ!
僕は地球(ボール)に乗っていた,なんたる不安定!
ぼくは活字や電波に乗っていた
ついに風景は数葉のガラス板越しに
壮大に進入してきた
そこへ
ぼくは突入した

吉増剛造「北海道」(抜粋)in『続・吉増剛造詩集』(『黄金詩編』)
  
タグ :吉増剛造


Posted by Nomade at 19:06Comments(0)

2010年04月08日




Paris, mars 2008


(地上を流れる川を私が渡るのは)


新しい苦しみに追われ
私の手に水はみたされた
私の母はきょうも,
針葉樹の林を見るために生きた。
寒いたましいの下をきょうも生きた。
衣服の重さを着がえるたびに,
私の母は老いた。
歩くだけで病むいのちもあり,
失うために生きる生涯もある。
私の母はきょうも,
私を失うために生きた。
私を失う私の母のために
地上を流れる川を私は渡る。
私の手に水はみたされた。
地上を流れる川を私が渡るのは,
地上を流れる川を私が渡るのは。

稲川方人『稲川方人詩集』(『われらを生かしめる者はどこか』)
  
タグ :稲川方人


Posted by Nomade at 15:02Comments(0)

2010年04月04日

人を困惑させる言葉




Kagoshima, décembre 2009


「どこにでも行けます,センセイとなら」わたしは叫んだ。
 夜の雲が,速い。風が,強くなってきている。空気が湿りけをおびて,重い。
「落ちつきなさい,ツキコさん」センセイが軽い調子で言った。
「じゅうぶん落ちついています」
「もう家に帰って寝なさい」
「家になんか帰りません」
「ききわけのないことを言うじゃありません」
「ききわけなんかぜんぜんないです。だってわたしセンセイが好きなんだもの」
 言ったとたんに,腹のあたりがかあっと熱くなった。
 失敗した。大人は,人を困惑させる言葉を口にしてはいけない。次の朝に笑ってあいさつしあえなくなるような言葉を,平気で口にしてはいけない。
 しかしもう言ってしまった。なぜならば,わたしは大人ではないのだから。小島孝のようには一生なれない。センセイが好きなんだもん。わたしはだめ押しのようにもう一回繰り返した。センセイはあきれた顔でわたしをじっと見ている。


川上弘美『センセイの鞄』
  
タグ :川上弘美


Posted by Nomade at 17:00Comments(0)