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Posted by チェスト at

2012年06月21日

視線の組織化


Tokyo, avril 2009


映画は視線を組織化する。そしてその組織化は,複数の候補の中化からの選択と,その選択されたもののさらに優先順位をつけるというかぎりで,きわめてポリティカルな組織化である。それはせめぎあう複数の力の折り合いとして実現される。それゆえ映画の観客は,視線の組織化を通じて映画の唯一正当なる主体として政治的に生産される。じっさい映画学者クリスチャン・メスとスティーヴン・ヒースが示したことは,映画は構造的に三つの視線を組織化するという事実である。すなわち登場人物の視線,観客の視線,そしてキャメラの視線である。それらは相互にリレーされ,観客は映画の内に縫合される。


加藤幹郎「表象問題としてのホロコースト映画:映画の観客とはいかなる主体か」, 80 頁 in『映画とは何か』, 263 + XIX 頁.
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Posted by Nomade at 23:24Comments(0)

2012年06月06日

アメリカ




Kokubu, janvier 2012


アメリカ文学にはある種の作家を輩出する例外的な力がある。そうした作家たちは自身の思い出を語る。そして,その思い出はまるで,すべての国からやってきた移民たちからなる普遍的な民の思い出のようなのだ。

ジル・ドゥルーズ「文学と人生」in『批評と臨床』
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タグ :ドゥルーズ


Posted by Nomade at 22:32Comments(0)