2008年07月31日
第百階級

Kagoshima, mai 2008
蛙はでつかい自然の賛嘆者である
蛙はどぶ臭いプロレタリヤトである
蛙は明朗性なアナルシスト
地べたに生きる天国である
草野心平『第百階級』より
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2008年07月27日
キャンプだホイ

Kaïmon, juillet 2008
キャンプだホイ キャンプだホイ
キャンプだホイホイ ホーイ
キャンプだホイ キャンプだホイ
キャンプだホイホイ ホーイ
はじめて見る山 はじめて見る川
はじめて泳(およ)ぐ海
今日から友だち 明日(あした)も友だち
ずっと友だちさ
キャンプだホイ キャンプだホイ
キャンプだホイホイ ホーイ
キャンプだホイ キャンプだホイ
キャンプだホイホイ ホーイ
はじめて見る鳥 はじめて見る虫
はじめて遊(あそ)ぶ森(もり)
今日から友だち 明日も友だち
ずっと友だちさ
キャンプだホイ キャンプだホイ
キャンプだホイホイ ホーイ
キャンプだホイ キャンプだホイ
キャンプだホイホイ ホーイ
はじめて逢(あ)う人 はじめてうたう歌
はじめて作るごはん
今日から友だち 明日も友だち
ずっと友だちさ
マイク真木「キャンプだホイ」
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2008年07月23日
エコロジーとメディア

Kagoshima, mai 2008
〔...〕自宅の近くを散歩しながら,古い戦前の映画で見た京都の景色とダブらせる。古都の乱開発を「ああ人栄え国亡ぶ 盲たる民世に躍る」悲憤慷概したい気分も,よくわかる。しかし,エコロジーと結託した景観保護主義にも私はご都合主義の臭気を感じる,京都の町並みも,過去に何度も大改造されている。その都度,人々は自らが生活しやすいように変えてきたはずである。そうした実用が,いつしか伝統にかわっていく。そんな例は,無数にあろう。今日では伝統も格式もある歌舞伎は,それが登場したときには,珍妙な見世物だったはずである。祇園の町並みとて,最初は新奇な代物と映ったに違いない。
そう考えるならば,景観保護の保守的心性とエコロジーの反体制的心性の結合こそ,いかにも面妖ではあるまいか。あるいはこの「伝統」と「自然」の翼賛者達は,変動する社会の不確実性から目をそむけたいだけなのかもしれない。彼らは既成の伝統にお手軽な意味を発見する。いたる所に大いなる自然の神秘を見出し,文明が忘れ去った本当の生き方がそこに潜んでいるように語りたがる,だが,こうした振舞は自由な社会がもたらした選択可能性に付随する個人責任から逃げるための口実ではないといえようか。ちょうど,情報化社会の中で血液型性格判断や星占いの運勢を信じる人がますます増えるように。
〔...〕
私たちはデレビやインターネットや携帯電話に囲まれたメディア社会の生活を自ら捨てることはできないだろう。その軽薄さを「古きよき里山」の基準から批判することは容易である。しかし,それは多くの大衆文化批判と同じく,リベラルそうに見える傲慢である。その高貴な精神の背後には変化に対する怯懦と他者に対する不寛容が見えかくれしている。
佐藤卓己『メディア社会:現代を読み解く視点』
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2008年07月17日
冷酷の歌(中原中也)

Paris, mars 2008
人は自分を紛らはす力があるので,
人はまづみんな幸福さうに見えるのだが,
人には早晩紛らはせない悲しみがくるのだ。
悲しみが自分で,自分が悲しみの時がくるのだ。
長い懶(ものう)い,それかといって自滅することも出来ない,
さふいふ惨(いたま)しい時が来るのだ。
悲しみは執ツ固(こ)くてはほも悲しみ尽くそうとするから,
悲しみに入ったら最後休(や)む時がない!
理由がどうであれ,人がなんと謂へ,
悲しみが自分で,自分が悲しみとなった時,
人は思ほだすだらう,その白けた面の上に
涙と微笑を浮かべながら,聖人たちの古い言葉を。
そして今猶(なほ)走り廻る若者達を見る時に,
忌はしくも忌はしい気持ちに浸ることだらう,
嗚呼!その時に,人よ苦しいよ,絶えいるばかり,
人よ苦しいよ,絶えいるばかり...
中原中也「冷酷の歌」in『中原中也詩集』
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2008年07月14日
7月14日にちなんで... (柴田三千雄)

Roissy, mars 2008
〔...〕近現代の国家はすべて「自由」と「平等」の二構成要因を多かれすくなかれふくんでいる。「自由」だけでは弱肉強食となり,「平等」だけでは全体主義となり,どちらも観念としてはありえても,国家としては存続できない。国家の特徴とは,この相矛盾する二構成要因の関係のあり方であり,その変化の律動が,近現代の歴史となる。そして重要なことは,この律動を自覚することであり,それが〔...〕国家のアイデンティティである。
柴田三千雄『フランス史10講』
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