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Posted by チェスト at

2013年04月28日

無限に多くの希望




Bordeaux, mars 2007


おもうに,人間的に言えば,死は一切のものの最後であり,人間的に言えば,生命があるあいだだけ希望があるにすぎない。しかし,キリスト教的な意味では,死はけっして一切のものの最後ではなく,死もまた,一切のものを含む永遠なる生命の内部における一つのちいさな出来事であるにすぎない,そして,キリスト教的な意味では,単に人間的に言って,生命があるというばかりでなく,この生命が健康と力とに満ち満ちている場合に見出されるよりも,無限に多くの希望が死のうちにあるのである。
 それだから,キリスト教的な意味では,死さえも「死にいたる病」ではない,ましてや,苦悩,病気,悲惨,艱難,災厄,苦痛,煩悶,憂い,悲歎など,およそ地上的,時間(この世)的な悩みと呼ばれる一切のものも,そうではない。わたしたち人間が,少なくとも悩める人たちが「死ぬよりもつらい」と訴えるほど,それほどこれらの悩みが重く苦しいものであろうとも,病ではないまでも病に比べられるこのようなすべての悩みは,キリスト教的な意味では,けっして死にいたる病ではないのである。


セーレン・キルケゴール『死にいたる病』/ 桝田啓三郎訳
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Posted by Nomade at 11:58Comments(0)

2013年04月23日

レストラン




Paris, septembre 2012


レストランは,「公的」なものと広義に解すべきものでも,「私的」なものと狭義に解すべきものでもなく,むしろ私的な自己陶酔を公開する可能性を提供したのだ。十八世紀末に発展した公共生活は,公益をめぐるものだったと同時に,他人を(その存在に気づきながらも)無視する能力に関わるものでもあった(し,今もそうなのである)。

レベッカ・L・スパング『レストランの誕生:パリと現代グルメ文化』
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Posted by Nomade at 10:10Comments(0)

2013年04月12日

音楽




Paris, mars 2008


音楽がよろこび,悲しみ,あわれみ,同情のいずれを表現しているにせよ,どの瞬間も我々はその音楽の表現しているものになっている。単に我々だけでなく,さらに他の多くの人々も,すべての他の人々もまた同様であろう。音楽が泣く時,それと共に泣くのは,人間であり,自然全体である。実をいえば,音楽はこうした感情を我々の心のなかに注入するわけではない。音楽は,通りがかりの人々が踊りのなかにまき込まれるように,むしろ我々をこうした感情のなかに導き入れるのである。道徳における先導者たちはそのように行なう。


ベルグソン/中村高次訳『道徳の宗教の二源泉』
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タグ :ベルグソン


Posted by Nomade at 22:08Comments(0)

2013年04月08日

残された私の手




Paris, mars 2008


景色にならないうちに,と
一六歳の女は草の中で
此の世の坂を下るべく手をはなした
残された私の手は
味覚をえらべない型通りの夏痩せ
花を得ればしばらくで
きっと誰かの手に落ちる


荒川洋治「懐かしんで」in『あたらしいぞわたしは』(『荒川洋治詩集』)
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タグ :荒川洋治


Posted by Nomade at 09:07Comments(0)

2013年04月06日

病人





 
病人は,何時間も,ひとりで横臥していた。その間,すこし熱がひいてきて,ときおり浅くまどろむこともできた。しかし,それ以外は,衰弱のため身動きできなかったので,天井を見あげて,さまざまな想いと闘いつづけねばならなかった。もっとも彼の思いは,そもそも拒絶するというだけで精一杯だったようである。なにを考えはじめても,すぐ退屈してまた苦痛となったので,全力を尽くして想念を絶とうとしたのである。

Lyon, mars 2011


カフカ「断片:ノートおよびルース・リーフから」飛高節訳 in『カフカ全集3』
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タグ :カフカ


Posted by Nomade at 22:35Comments(0)

2013年04月02日

さくらばな





待てといふにちらでしとまるものならば なにを桜に思ひまさまし


読人しらず in 『古今和歌集』


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タグ :古今和歌集


Posted by Nomade at 03:23Comments(0)