2008年11月25日

大統領の青春

大統領の青春


Paris, mars 2008

 ジャック・シラクは一九三二年,パリの裕福な家庭に生まれた。シラク家はもともとコレーズ県で暮らしていたが,国立信用銀行の行員からアンリ・ポテ・グループの社長となった父親の代にパリに移住した。フランスの大手企業グループ総帥マルセル・ダッソーとは父親との関係で子供時代から昵懇で,ダッソーは後にシラクの有力な後援者となった。
 少年時代は活発で,好奇心旺盛だったが,思慮深いタイプではなく,成績もできるほうではなかった。リセ時代の教師は,「おしゃべり,注意散漫,神経質で,成功しないだろう」と厳しい評価を下した。住み込みの家庭教師となったリトアニア出身の白系ロシア人「デラノヴィッチ先生」の薫陶のおかげで,東洋趣味につよく惹かれるようになった。この人物はロシア文学はもとよりペルシャ文明,中国芸術などに造形が深く,シラクを連れてパリの美術館などを訪れた。この頃シラクはインドに憧れ,サンスクリット語を学ぼうとも考えたりした。
 父親は,ジャック少年をグランドゼコールの名門理工科大学校(ポリテクニーク,ナポレオン時代に設立)に入学させようとして,ルイルグラン(パリの名門リセ)で高等数学を学習させようとしたが,本人が嫌がった。バカロレア(大学入学試験)ではいずれも「可」の成績だった。一八歳のとき,ダンケルク港で石炭貨物船(五〇〇〇トン)の見習い船員となったが,三ヶ月後ダンケルクに帰港したジャックを待っていたのは父親であった。リセに復学させられ,最初のアバンチュールはこうして潰えた。
 〔... 〕
 結局,父の意志とは異なって,五一年にシラクはパリ政治学院に入学。今度は人が変わったように勤勉になった。

渡邊啓貴『フランス現代史:英雄の時代から保革共存へ』

仕事の合間にたまたま立ち寄ったモロッコ料理の店にて。
客た盛んに「プレジダン,プレジダン」と口にするので,どうしたのかと店主に尋ねたら,最近シラク夫妻がランチに立ち寄ったとのこと。因にランチのお値段は10ユーロ... もちろん,それとは知らず,私も元大統領と同じをものを食べてました。

タグ :渡邊啓貴


Posted by Nomade at 20:05│Comments(0)
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