2008年11月10日
家
Kagoshima, octobre 2008
流れている水は腐らないということを知っている人は案外少ない。
ひとところに淀んだ水は必ず腐っていくという運命を持っている。常日頃,私は,ヒトというのは,この水だと思っている。ヒトの体を構成する有機物の大半が水だということもその理由(わけ)の一つだが,ヒトの体の中にある水が腐らないのも,やはりその水がひとところに長居せずに絶えず循環しているからに他ならない。
私にとって,家とか,部屋というのは,その私という水を通行させる一つの場所といえる。私は自分が腐りたくないから家とか部屋に長い間とどこおりたくない。
とどこおりたくないから,私はものに執着しない。物に執着して家財がふえると,それに水がぶつかって流れにくくなる。だから,私の部屋は何年たっても,不動産屋が最初に私をそこに案内したときと同じままにガランとしている。
藤原新也『東京漂流』
Posted by Nomade at 21:53│Comments(0)