2008年09月16日
彼の指先
Bordeaux, avril 2008
今でも彼の指先が,耳の後ろの小さな窪みに触れた瞬間を覚えている。まずいつもの手つきで蓋を開けた。どんな種類の瓶であれ,彼はとても素早く,しなやかに開けることができた。芳香蒸留水の白いキャップでも,フラワーエッセンスのスポイト付きの蓋でも,無水エタノールの赤い蓋でも。
それから一滴の香水で人差し指を濡らし,もう片方の手で髪をかき上げ,私の身体で一番あたたかい場所に触れた。私は目をつぶり,じっと動かないでいた。その方がより深く香りをかぐことができたし,より近くに彼を感じることができた。彼の鼓動が聞こえ,息が額に吹き掛かった.人差し指はいつまでも湿ったままだった。
小川洋子『凍りついた香り』
Posted by Nomade at 07:20│Comments(0)