2008年09月10日
先生
Bordeaux, septembre 2007
あなたは現代の思想問題について,よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑までしなかったけれども,けっして尊敬を払い得る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし,あなたは自分の過去をもつにはあまりに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなさそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極あなたは私の過去を絵巻物のように,あなたの前に展開してくれと逼(せま)った。私はその時心のうちで,始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から,或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って,あたたかく流れる血潮を啜ろうとしたからです,その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭であった。それでも他日を約して,あなたの要求を斥けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って,その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停まった時,あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。
夏目漱石『こころ』
ありとあらゆる角度から読まれてきた作品ですが... あなたなら「私の心臓を立ち割って,あたたかく流れる血潮を啜ろうとしたからです」という一節に,何を読み取りますか?何を聞き取りますか?私は...
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Posted by Nomade at 10:36│Comments(0)