2008年10月01日
未完の愛
Cenon, avril 2008
「たんぽぽ」においては誰も,稲子を狂人扱いすることはできない。それどころか,稲子と久野の間に,一つの完成された純粋な愛の関係を感じることができる。稲子は久野に抱かれていながら,久野が見えない。感触だけは残して,肉体が消滅している。久野に対する嫌悪からではなく。あまりに深い愛のためにそうなるのである。
〔...〕
愛の結果として肉体がもたらすものへの不安が,彼女を人体欠視症にしたのだろうか。肉体がないところにある,愛の形を確かめたかったのかもしれない。彼女は形のないものを見ようとしたのだ。
肉体が感じるもの,肉体が語るものをすべて排除したあとに何が残るか,余計なものが蒸発したあとに残る結晶はどんな形や色をしてるのか。久野と稲子二人の場面はわずかしか描かれていないのだが,それが読み手にもじわじわと見えてくる。久野と母親の会話と回想にしかあらわれない稲子の姿が,段々と見えてくる。読み手もまた,この物語の中で,見えないものを見てしまう。
そして結局,未完であるがために,見えていたものの形を完全にとらえることはできない。白いたんぽぽをもう一度,見に行くこともできない。ふと気がつくと,それはまた見えないものに戻っていて,物語は消える。
未完のおかげで,見えないものを見せてもらえた。これは,終わる必要のない小説なのかもしれない。
小川洋子「見えないものを見る:「たんぽぽ」(川端康成)」in『妖精が舞い下りる夜』
Posted by Nomade at 22:53│Comments(0)