2010年07月29日

夜の酒場で

夜の酒場で
Kyoto, février 2009


夜の酒場で


 掘り割りの水面の水尺よりぐつと低い,水底の酒場。
真夜なかだ。誰もいゐない。
 椅子とテーブル。――テーブルのうへに,象棋(しやうぎ)の駒だけが立つて,目をさましてゐる。

ながれ汚水。だが,どこかへうごいてゐないものはない。私はひとり,頬杖をついて,
今夜といふ時間の流れるのを,女の去つたあとのやうな,へんに冴え返つた頭できいてゐる。
壁紙の,高い画額のうしろにぽつかり窓があいて,
舟は,ひそかにスエズ運河を過ぎる。


金子光晴「夜の酒場で」in『金子光晴詩集』(『路傍の愛人』


タグ :金子光晴


Posted by Nomade at 12:04│Comments(0)
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