2010年03月19日

溺れることもできないなんて...

溺れることもできないなんて...


Lyon, mars 2009


 私が魚の化身だったらどうする?
 いっしょに泳ぐよ。
 そう。じゃあ泳ぎましょ。
 そう言うなり,わたしはあなたの手を引いて屋上へ駆けあがって,細い柵の上に立った。凍てつく寒風がガラスの破片のように私の肌を傷つける。何するの,とあなたは無邪気に尋ねる。わたしは少し苛だって,だから他人の夢の中の泳ぐんじゃない,と告げると,冷たい夢の液体へと飛び込んだ。あなたは悲鳴を上げた。
 私は夢の水面から顔を出し,早く来なさいよ,と叫ぶ。深いブルーの水底では,眠る都会のイルミネーションやネオンがわたしたちを誘う。あなたはためらい,それを軽蔑する私の顔を見て意を決し,柵から身を投げた。
 あなたはわたしの横を加速度をつけて落下していった。微かな衝突音。わたしが水底に降り立つと,すでにピラニアたちが食べた後で,骨だけが道路に転がっている。溺れることもできないなんて,とわたしは嘆き,記憶につけ加えるため,細かい骨でブレスレットを作ると,また新たな出逢いを求めて,尾びれを強く一振りした。


星野智幸「夢を泳ぐ魚たち」in 『われら猫の子』


タグ :星野智幸


Posted by Nomade at 14:05│Comments(0)
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