2010年03月08日
なまえ
Bordeaux, septembre 2007
吾一は「へえ。」と言うかわりに,丁寧におじぎをした。まった。
「呼びにくい名まえですね。」
「さようでございますな。吾一ってのは,どうもぎすぎすしていけませんな,一つ,名まえを変えましょうか。」
「無論,変えなくっちゃいけませんとも。そんなのは商人の名まえには向きませんよ。」
「なんといたしましたら,ようございましょうかな。吾吉ってわけにもまいりませんし……」
「いっそのこと,五助としたら,どうですい。」
「なるほど,吾助は結構でげすな。」
「それも,その子のは,たしか,むずかしい吾の字を書いていたようだが,そんなのはめんどくさくっていけません。一,二,三,四,の五でたくさんですよ。」
「さよう,さよう。あきんどは名まえでも何でも,万事,ちょくでござせんとな。ーーそれでは,いいかい。おまえさんはこれから,五助って言うんだよ。」
伊勢屋と大きく染め抜いた紺のノレンをちょいとくぐっただけで,吾一はたちまち五助になってし
山本有三『路傍の石』
Posted by Nomade at 17:23│Comments(0)