2010年01月26日
恋の話
Paris, mars 2009
『古事記』のもっとも美しく,もっとも感動的な部分は,ほとんどすべて恋の話である。殊に道行き。たとえばカルノミコとカルノオホイラツメの同母兄妹の悲恋。そのために流罪となったカルノミコをオホイラツメは追ってゆく。『記』によれば,二人は流謫の地に抱き合い,恋人がなければ,家も,国も,何の意味もなかろう,という意味の歌を唱って,死ぬのである。その最後はほとんどヴァークナァの「愛の死」の管弦楽を想出させるだろう。あるいは近松の道行きの三味線を。思えば近松の場合にも,儒教倫理を正面に据えた武家物よりは,人情物の情死行が美しかった。死において完成する恋という考えたかは,『古事記』から『曽根崎心中』まで,脈々と流れてきたようである。根本的に此岸的な世界構造のなかで,感情生活の極致にあらわれるものは,もっとも移り易い人間感情(恋)の永遠化であるほかはなかった。
加藤周一『日本文学史序説』
Posted by Nomade at 11:31│Comments(0)