2010年01月20日
メロディー
Paris, mars 2008
〔…〕通奏低音が支えるというスタイルによる音楽では,フーガよりは旋律に自由な表現の余地が与えられていたのは確かである。だがそこでもまた,音楽の主導権を握っていたのは旋律ではなかった。最初から最後まで曲をリードするのは低音であって旋律には常に通奏低音という「足枷」がはめられていた。古典派の時代に至って初めて,旋律はあらゆる上位秩序から解放され,自由に羽ばたくことができるようになったのである。近代的な意味での「歌う音楽」が,個人の情熱と意志の表現が主役となる音楽が,音楽史に登場した。ここに王や神から解放された「自由な精神」のあらわれを見ることは,けっしてうがち過ぎではないだろう。
岡田暁生『西洋音楽史:「クラシック」の黄昏』
Posted by Nomade at 21:31│Comments(0)