2009年12月20日
巡礼
Lyon, mars 2009
老婆の瞳はこんなに濃い黒色をしているのだろうかと,僕は不意をつかれた。冬の闇よりも深く,目に映るものすべてを吸い取って,なお表面は揺らぐことなくしんとしていた.身体は朽ちてしまったのに,瞳だけが生き残ってそこにあるかのようだった。
庭師は老婆を背負ったまま博物館を一周し,僕たちはその後ろを付き従った。誰も口を開かなかった。老婆の苦しげな息遣いが,途切れがちに漏れてくるばかりだった。窓は夕暮れの色に染まり,雪の形がよりはっきりした影になって舞い落ちていった。風の音は届かず,林は遠くで凍え,その向こうにははや夜の世界が忍びこんでいた。
それは死者たちを弔う巡礼だった。老婆のかすれた息は,弔いのための哀歌だった。
小川洋子『沈黙博物館』
Posted by Nomade at 22:28│Comments(0)