2009年04月08日
嫉妬
Kyoto, février 2009
「彼が帰ってこない夜,車の音がするたびにびくっとしてた。どんなに遠くからでも,夫の車のエンジン音を聞き分けられるようになったわ。よく自分に賭けをしたの。五台数えるうちに帰ってきたら,笑顔で迎えてあげよう。お風呂の用意をしてあげよう。六台過ぎたら……その先は考えなかった。六台過ぎたらまた新しい賭けをするのよ。五台のうちに帰ってきたら,理由は聞かないでおこう。許してあげよう。その繰り返し」
嫉妬の話などするつもりはなかったのに,気がつくと自分でも忘れていた昔のことを口に出していた。女は辛そうにも申し訳なさそうにもせず,ただハンカチを畳み直しただけだった。彼女は勝ち誇った気持ちでいるのだろうか。目の前にいる妻ではなく,自分の方が選ばれたのだという事実を,かみしめているのだろうか。
しかし話しながらわたしの心の中は,新田氏で占められていた。夫を借りて薫さんへの嫉妬を語っているのだと,自分で分かった。
小川洋子『やさしい訴え』
Posted by Nomade at 23:38│Comments(0)