2009年01月30日

立ち止まる

立ち止まる


Bordeaux, mars 2008

 二階か三階にある喫茶店から,待ちゆく人々を二時間も三時間も眺めていることがある。橋にもたれているときのように,静かに眼下の光景全体が後退してゆき,人々の前進する姿をアワレだと思いはじめる。タクシーに飛びのる人々,地下鉄の入口に次々に消えてゆく人々,みんなの前進は,都市では機械を利用しなければ不可能になってしまっているようだ。機械によらなければ生活の目標は達せられない。たとえば,旅行にしても,金銭を多量に支払わなければ旅行できなくなっている。旅の感覚というものがあるとすれば,それは本当に衰えつつある.早く到着するとは,なんという不快なことだろうか!
 とどまること,それとフト振り返ってみること,そこから幻想が生まれ,旅が生まれるようだ。群衆のなかで,立ちどまる人,振り返って,前進する人々の顔を凝視する人,そして突然叫びはじめる人,更に,一歩決然とふみ出し,流れを逆行しはじめるか。それは犯罪となるであろうし,想像力の点火ともなるのだろう。
 橋の欄干から落ちてしまうのであろうか。昨日からの宿酔と浪費のために,この燃えるような炎天の夏の,何事も起こらない日常で,澄みきった湖水のような感情が,危機感が,ぼくを立ち止まらせている。

吉増剛造「危機感について」in『吉増剛造詩集』


タグ :吉増剛造


Posted by Nomade at 12:18│Comments(0)
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